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351件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2020-01-28 第201回国会 衆議院 予算委員会 第3号

そこで、我々は交渉姿勢として、長門合意で行ったように、かつては、米ソ冷戦構造時代には、大変厳しい環境下ですから、もちろん外務大臣も、例えば、グロムイコ外相とは会えない、もちろん当時のブレジネフ書記長とは全く会えないという状況が長く続いた中において、例えばこちらの言い方を非常に強い姿勢で維持するということは、それは当然のことなんだろう、こう思うわけでございますが、その中で、我々はアプローチを変えて、

安倍晋三

2002-10-22 第155回国会 衆議院 本会議 第3号

それにもかかわらず、当時のグロムイコ外相は、そのような約束をしていないということを折に触れて述べ続けました。それが現実外交の厳しさです。  ところが、日朝平壌宣言には、日本植民地支配に対する謝罪と北朝鮮への経済協力は詳細に明記されているのに、北朝鮮が約束すべき、我が国及び日本国民の平和と安全に関する重要問題については一切、明記されていません。

藤井裕久

1991-11-12 第122回国会 衆議院 本会議 第4号

四十年前、ソ連グロムイコ外相サンフランシスコ講和会議交渉の席をけって以来、初めて北方領土問題の解決と日ソ平和条約締結の好機が訪れようとしております。特に八月クーデターの失敗と、七十四年にわたるソ連共産党の解体、ソ連経済の破綻、それを踏まえての西側諸国対ソ支援積極化動向並びに新しい世界平和秩序づくりのために、日ソ関係正常化を求める動き等々がそれであります。  

大内啓伍

1991-04-09 第120回国会 参議院 外務委員会 第5号

今、五六年の日ソ共同宣言出発点にして、このことはもう基本的な認識が両国の間でできているという欧亜局長お話でしたけれども、その次に、一九六〇年にグロムイコ外相日米安保条約締結を理由に、日本から外国の軍隊が撤退しない限り歯舞色丹は返還しないという覚書を一方的に日本によこしています。

堂本暁子

1991-03-27 第120回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第6号

ソビエトの三十年間グロムイコ外相下の外交というのは、木村参考人がおっしゃいましたように、ミスター・ニエットで、アメリカのやることにみんなニエットと言っておればソビエト外交が成り立っていたわけです。そういったことからすれば、シェワルナゼ外交というのはミスター・ダーで、アメリカの言うことにかなり協力的であったと思います。

寺谷弘壬

1990-04-17 第118回国会 参議院 外務委員会 第2号

その後の平和条約交渉はその合意にもかかわらず行われておりませんでしたが、日中国交回復直前グロムイコ外相がやってまいりまして、日中との絡み合いで日ソをむしろ先行させたいという希望を表明したわけですけれども、具体的には日中国交回復後の一九七二年十月に初めて大平外務大臣が訪ソいたしまして第一回目の平和条約交渉が行われました。

都甲岳洋

1989-12-01 第116回国会 衆議院 内閣委員会 第5号

そして、今先生が例に挙げられましたように、かつてのグロムイコ外相が何度も日本に来て話をされるとき、例えば総理グロムイコ外相会談にも私は横に同席させていただいた経験を持っておりますけれども、取りつく島がないというような、だめだという態度じゃなしに、今度のヤコブレフさんは、私が初めて会って歓迎のあいさつをしていろいろお話をしたときに、大変大きな口をあいて笑われたとか、ああいった顔を見たことは珍しいとか

海部俊樹

1988-11-08 第113回国会 参議院 外務委員会 第2号

他方におきまして、日ソ間の最大の懸案でございます北方領土問題についてのソ連立場は、かつてのグロムイコ外相のように話し合いのテーブルにも着かないということではなく、一応議論するという姿勢を見せ始めております。しかし、その基本的な立場には変化がないのみならず、極東の軍事力を増強し続ける対日政策におきましては、ゴルバチョフの言ういわゆる新しい思考などは片りんも見られないような気がいたします。

久世公堯

1987-12-15 第111回国会 参議院 外交・総合安全保障に関する調査会 閉会後第1号

アジア部SS20に関するソ連の主張は、交渉当初は欧州撤去分SS20をアジア部に移転する、これは八三年一月十七日のグロムイコ外相発言でございますが、こういう立場であったわけでございますが、その後、アジア部SS20は凍結する、これは八三年八月二十七日のアンドロポフ書記長発言でございます。  

遠藤實

1987-07-21 第109回国会 参議院 予算委員会 第3号

例えば、まず第一に、一九八四年の十二月には、我が党とソビエト共産党との両党会談でも、核兵器を不法なものとして、その廃絶を人類にとって死活的に重要な課題としてはっきりと宣言をいたしましたが、それが具体的に世界政治の場でも八五年の一月八日発表されました米ソ共同声明になって、グロムイコ外相、シュルツ国務長官との間で、双方は会談を通じて核兵器宇宙兵器に関する来るべき米ソ交渉の主題と目的について討議したとして

橋本敦

1986-11-26 第107回国会 参議院 決算委員会 第3号

他方ソ連に対しましては、事件発生後機会あるごとにソ連に対して申し入れをしておりまして、五十九年の二月及び九月の日ソ外相会談のときに安倍外務大臣からグロムイコ外相に対して、それから本年一月の日ソ外相定期協議の際にも安倍外務大臣からシェワルナゼ外相に対しましてこの問題を提起したわけでございますが、遺憾ながらソ連からは誠意ある対応を得ていないというところでございます。

中平立

1986-02-18 第104回国会 衆議院 予算委員会 第11号

そしてそれを受けて、いわば放棄された千島列島云々歯舞色丹については、ダレス長官グロムイコ外相に対して地図を突きつけて、これは北海道の一部である、こうやったわけでしょう。その部面は共同宣言の中で、平和条約締結された場合には引き渡す、こうなったわけですね。そういう認識はやはり私は正しいと思うんですね、認める認めないは別でありますよ。

岡田利春

1986-02-13 第104回国会 衆議院 予算委員会 第9号

安倍国務大臣 今の総理の答弁にありましたように、サンフランシスコ条約に調印をしましたほとんどの国が北方四島は日本領土であるということを確認をいたしておりますし、最近におきましてもアメリカシュルツ国務長官、さらに中国呉学謙外相も、グロムイコ外相との会談の際に、北方四島は日本領土である、これを日本に返すことが真の日ソ友好につながっていくんだということを強調されたわけでございます。  

安倍晋太郎

1986-02-10 第104回国会 衆議院 予算委員会 第7号

西山政府委員 その後、ソ連態度を変えてまいりまして、特に七〇年代後半になりますと、例えば具体的に申し上げますれば、七九年の九月でございますけれども、当時のグロムイコ外相は、園田外務大臣に対しまして、日本立場を受け入れることができず、また根拠のないものである、現在この議論をすることは、日ソ関係の進展に役立つものではない、例えばこういうことを言っておりますし、また八〇年の九月、同じくニューヨークで

西山健彦